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↑_ナナ♀ 2009年生まれ ☆お気楽主婦が気ままに書いとります。どーか長い目で・・・
by miti2003

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きっかけ
よくある話ですが・・・
手話を学び始めたのはいつから?という質問。

客観的事実を述べると高卒OL時代からブラバンに入れ込み
同じ楽団に手話通訳者の娘さんがいて、
「ウチの母が入門講座の講師するんよ。入らん?」
とススめられたのがソモソモのきっかけ。
なんせ会場が、自宅から歩いて3分の公民館でしたから。
今思えば、国障年(1981~1992)の始まりのころ。
「典子は今」なんて字幕付きで見た。かなり古いな

今回は長~い書き込みします。



主観的に考えると、医薬品会社OLを止め、定時で帰れる職場は?
と職安で探していると・・・・
なぜかお役所の恩給係という、けったいな部署でアルバイト
その後、社会福祉協議会が経営する福祉会館の受付嬢(?)に臨時採用となる。

当時、会館1階には社会福祉協議会のほかに
軍人恩給連盟・傷い軍人会・共同募金会・盲人協会・ろうあ連盟
などの事務所と食堂があった。
2~5階まで会議・宿泊施設もあり、仕事はかなりおもしろかった
いろんな人に出会えた。
メーデーや8.6の頃は、民間のホテルや旅館などには
予約がとれない団体様は、福祉会館にお泊りになった。
一応、営利目的の会議宿泊はお断りなのだが
なんか怪しげなものもOKしていたように思う・・・
減免申請とかお役所的な言葉もそこで初めて知った

このような頃に入門講座に誘われたんです。
もう行くしかないでしょう。

ろうあ連盟の事務局長さんから、たま~に私用電話を頼まれました。
手話ができればなぁと漠然と思ってました

なぜ、福祉会館でやっている手話サークルに入らなかったのか?
楽団に入れあげていたワタシは練習日と重なる日程だったから・・・
結局、そのサークルに足を踏み入れることは無かった。
あぁぁもったいない。
今現在、講師でいらっしゃる先輩方が、そこで頑張っておられたのに
なんで行かんかったんかなぁ。

では、どこのサークルに入っていたかと言えば
入門講座終了後に受講者でサークルが立ち上がらなかったので
職場と自宅の中間点にある別の公民館でやっているサークルに入りました。

コレがまたおもしろいほど、通じない話せない。。。(汗)
ろう者は3人いらっしゃったが、そりゃ~当たり前じゃが
週1回の2時間だけで、何年やっても話せるようになるわきゃないわな。
(と、今にして思う。)
でも、この方たちは、もとぉらんワタシらを
大会やいろんな行事に連れていってくださり
とても恩人です。(お一人は鬼籍で残念・・)
今でも、どこかの行事で会うと「おぉ~元気か?」と言ってくれます。
相変わらず、御自分のサークル会員を引き連れていらっしゃいます。

で・・・そのサークルも数年で、もとぉらん手話しかできんままに
ちょと田舎(現在地)へ嫁入りのため止めてしまいました。
楽団のほうも引退したけど、現在地にある別の楽団に
結婚後もエキストラで手伝うくらい好きじゃったのねぇ。

ダンナの転勤でY浜で3年・社宅生活なるものを経験し
関東地方の公共交通はチンプンカンプン。ひたすら、引きこもり状態。
なんかしたいっ!と
地域の手話サークルを覗くも、レベルの高さにビビる
ざぁます言葉にも慣れず断念。広島弁が良ぇよねぇ。

帰ってからも子供はできんし、働こうと思うが
定時通勤するのはイヤなので家でできる仕事は?
と2度目の職探しで、ダ〇キンモップ交換をやりはじめた。
(しろが家族になった。)

「ダ〇キンで~す。」と、ご近所をまわっていると
お客様に難聴の奥様がいらっしゃった。
いろいろとお話をしていると、「要約筆記」
というものがあるらしい。
その奥様は中途失聴で「手話はまだ覚えきらん。」
と言いながらも、ちょっとずつ昔やった手話を
お互い交えながら筆談した。
またまたススめられて要約筆記講習を受け
地元の活動から徐々に広がっていくと手話関係者に
出会うこともあり、懐かしい人々とも再会する。

ムクムクと手話の思い出が。。。
漫画「この指のオーケストラ」全4巻に影響され
今所属している手話サークルに入ったのは、国障年の終わり頃。

ろう者は2人(高齢のおばぁちゃま)、メインの先生(やっぱりおばぁちゃま)は聴者で広島では
初めての通訳者だったそうです。
サークルではテキスト文どおりに日本語対応で手話を
教えてもらっていたので、通じないことばっかりでした。
先生には悪いが、どうやったら(ろう)おばぁちゃんと
普通に話ができるのか?
何をしたら良いのかわからなかった。

先に出た、福祉会館でやっていたサークルの先輩方が
手話奉仕員養成講座に入れば?とススめてくれた。

所属サークルの仲間がやはり通じる手話が習いたいと
同じ気持ちだったので一緒に申し込んだ。
彼女は、今はサークルは引退してしまったが当時は積極的で
組織化がむつかしかった地元地域のろう者との交流会を
つくるきっかけとなったヒトだ。

でもね。このときも自分が通訳者になる気持ちは全くなかった。
ただただ、会話のキャッチボールできるようになりたい。
だから、手話を学ぶ意味をまだ理解していなかった。
今も、ほんとうに理解しているかどうか疑わしいが・・・

ほいじゃけぇ、いまだに試験なんか受けよるんよねぇぇぇ
来年も頑張らねばのぅ


オマケ
今は、ろう者1人(お若い奥様)がメインで教えてもらっています。
おばぁちゃまのお一人はタマタマウチの近くの老健施設に入所されてます。
今日久しぶり(半年ぶり)に会ってきました。
ココでは聞こえないヒトは一人だけなんで・・もっと話しにいければ良ぇんじゃけど
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2ヶ月に1回のアニマルセラピーだったそうです。
とても嬉しそうです。
 この方と話したい。
というのがわたしの手話学習再開のきっかけ。
by miti2003 by miti2003 | 2006-03-12 00:35 | 手話・要約筆記のお話
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